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2004年04月18日

「自己責任」

「自己責任」という言葉に違和感を感じた方も多いことと思います。
佐賀大学理工学部豊島耕一教授の個人ページ
「自己責任」という新語について
というリンクがあり、この熟語が比較的新しい造語であるという事を知りました。
個人的には使いたくない言葉です。
豊島教授は同サイトで「お上にまかせろ」思考の形成・維持に重要な役割を果たしているのが水戸黄門ではないかという論を展開しておられます。これも興味深い視点です。
この「自己責任」をキーワードに、もっと何かないか色々探しているうちに

桜井哲夫著「自己責任」とはなにか
講談社現代新書
にいきあたりました。

桜井氏は
《キーワードを疑う》[自己責任]為政者が使う言葉の背景探れ
というアーティクル(上記本の出版動機など)の中で、恐らくこの語源となったのは規制緩和をめぐる議論のなかから出てきた言葉だろうと推理しています。
出展:新聞研究 98年9月号(No.566)
■「自己責任」の語源説■

平岩外四を座長とする経済改革研究会の中間報告「規制緩和について」(一九九三年十一月八日)のなかでは、以下のように使われている(以下は内橋克人とグループ二〇〇一『規制緩和という悪夢』、文藝春秋、一九九五年、の巻末資料による)。
 「消費者保護のために行われる規制については、自己責任原則を重視し、技術の進歩、消費者知識の普及などを踏まえ、必要最小限の範囲、内容にとどめる」。
 「金融、証券、保険に係る規制については、自己責任原則を重視した競争原理の徹底を図るため、規制の一層の緩和を行う」。
--略--
ここで桜井氏は、自己責任原則という言葉は、競争原理と対になって用いられており、消費者保護のための規制を緩和することの利益は、消費者の側にはなく、競争する企業の側の経費削減に利するだけであるとも書いています。

語源となったいきさつは置いておくとして、バイアグラの薬害における「自己責任」等を引き合いに出しながら、この本の執筆動機を次のように述べておられます。

このように「自己責任」という言葉は、多くは「自分のことは自分で始末をつける」というふうに国民に思わせておきながら、実は行政の側が国民の自己負担をふやし、結果として弱者へのしわよせが進むことなのではないのか、というのが拙著の執筆動機であった。
丸山真男が天皇制国家の「無責任の体系」を批判した論考で述べながら、その後あまり注目されてきたとは言えない「抑圧委譲の原理」に焦点をあてたのは、弱者へのしわ寄せが起こる原因を指摘する必要があったからである。
個人の倫理が内面化されず、常に上級者の顔色をうかがい、自分の行為を正当化するために上からの正当化を求める。常に上からの圧迫を感じているから、下へ威張り散らすことで発散しようとする。上からの圧迫は、こうして常に下へ下へと送られ、最も弱い存在が被害を被ることになる、というのが「抑圧委譲の原理」である。
明治以来の官僚制機構のなかで、こうして声低き者が犠牲にされてきたのではないだろうか、というのが私の基本的な立場であった。
現在の日本は、個人が自己主張すると会社(今回は国)--1ランク上の「公」--が迷惑を被る構造になっており、公を守るために個人は犠牲を強いられる。
公の責任はこの構造を通して個人の責任へと転嫁してゆく抑圧委譲原理が働く事が、昨今言われている「自己責任」という言葉の持つ意味であるというのです。

これだけではよくわからない所も結構ありますが、私はこの本が今回の「自己責任」大合唱が何故巻き起こったのかに関してのヒントの一つを与えてくれているように思われます。
見つけただけで読んでおりませんが、エントリに上げておきます。

【風呂に入っていて出した今日の所の自己満足的結論】

自己責任とは、責任転嫁と見つけたり」 若蘭

蛇足:
#豊島教授の指摘した「水戸黄問」が、桜井さんの文章中にも登場します。

2本目の蛇足:
自ら考え、決める「自己責任」が浸透している中国でのお話し「自己責任とは???」
これもまた興味深い記事です。
http://home.eol.ca/~toroho/jikosekininntoha.html

Posted by mugen at 2004年04月18日 23:08 | TrackBack
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Comments

この議論の本質は何か、ということを考えてみました。
以前、アグネス論争があったことを思い出しました。この論争とどこか似ていると感じていて、どこが似ているのか、考えていました。
疑問1
目的が正しければ、まわりに迷惑をかけてもいいか。
疑問2
そのとき、どちらを重視するか。
疑問3
あたたかく人をみるか、厳しく、あるいは冷たく人をみるか。

といったことのように思えます。
気になること。
1 このことが、政治的に利用されていること。
2言葉の語源云々はナンセンスでしょう。
3 3人の説明責任はどうなのでしょう。
 この場合の、説明責任の語源の話は見たことがないのはどういうことでしょう。
4 週間朝日の説明責任はないのでしょうか。

Posted by: かべ at 2004年04月29日 05:42

法律用語上の「自己責任」の意味とは

自己責任の原則=自己の行為についてだけ責任を負うという原則。古代や中世においては、家長が家族や自己の支配下にある者の行為について責任を負わされるこがあったが、近代法は、この原則を確立した。<有斐閣法律用語辞典より>

現在持ち出された用法とは異なるようですね。
「自己責任の原則を思い出してもらって…」も何も、そう仰る方こそ辞書引いて頂きたいものです。
なお、本日04.4.26現在大辞林(web)には記載されていません。

Posted by: koto at 2004年04月26日 17:50

自己責任。確かに人質になった人たちにも責任はあったでしょう。でも、政府が、率先して一国民を責めている様子に呆れかえりました。
なんだかとても、息苦しい世の中になっていると思いませんか?

Posted by: ワカイ at 2004年04月24日 18:58

はじめまして、heteheeteと申します。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
とても興味深く読ませて頂きました。
ご紹介されている本、探してみたいです。

 自己責任 持たない奴ほど 言いたがり

また伺わせて頂きます。

Posted by: heteheete at 2004年04月24日 09:28

3人が人質として転々とさせられていたとき、
ファルージャではたくさんのイラク人が
なくなっていたのですね。

パウエルの発言、ルモンドの記事、
それと日本の「自己発言」騒動を一緒に
並べて眺めると、確かに日本と言う国は
すこし寂しいところがあるなあ、と思ってしまいますね。

Posted by: sansara at 2004年04月23日 06:30

トラバありがとうございます

 自分のエントリにも書いたんですけれど、この恐ろしい国にずるずる住んでいる自己責任とやらで押しつぶされそうな気分です。

 生活感覚でものを考える、というのが、「いつまでもアマチュアの国民でかまわない」というわけではなさそうだ、と…。

 病気になるのもトシをとるのも、「すでにご理解いただいてること」になるんですよね。

 絶望や軽蔑、という誘惑に嵌らずに自分のスタンスを決めることの難しさ!

(メルアドはダミーです、すみません)

Posted by: utsu at 2004年04月20日 14:16

TBありがとうございます。
「自己責任」、ずっと昔から使われていることばだと思っていました。規制緩和と対をなす語という面が、とても興味深いです。
今「自己責任」というと、私の頭の中では「小さい国家」という言葉にリンクします。あれも、「国は余計なことはしない」というと聞こえはいいけど、実態は「全部個人でなんとかしてね」という、非常に都合のいい話なんですよね。

Posted by: キョウコ at 2004年04月20日 03:27

トラックバック、ありがとうございました。

またひとつ勉強になりました。

「自己責任」を国家(為政者)が語ると、どのような世の中になるのか?

年金・治安・教育・税金・組織論、こららがキーワードになりそうなんですが、もう少し思考の整理が必要です。(難しい)

Posted by: あざらしサラダ at 2004年04月19日 17:48

トラバありがとうございます
自己責任の語源 興味深く拝見しました

Posted by: ririko_karen at 2004年04月19日 09:25
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