時:2004年8月29日(日)14:30開演
所:下関市民会館中ホール
今年で10年目を迎える下関平和コンサートに、今年も無事夫婦で出演出来ました。
私たちはノスタルジックな日本、夏をテーマにした選曲で、ベートーベンの月光(映画「月光の夏」にちなんで)夏の想い出、赤とんぼ、Summer(映画「菊次郎の夏」テーマ)をDUOで演奏。Summerは、この会のためにピアノ版をギターDUOにアレンジしました。
音楽を通して平和を語るコンサートもそろそろ一区切り付ける時期が来ているようです。
リピーターは沢山おられるのですが、高齢者が増えてきています。
近隣の、プロ、アマ混在でジャンルを問わない出演者が支えて来た演奏会ですが、平和を後世に語り継いでいくためにも、若い人たちをもっと取り込んだ催しへの脱皮が必要でしょう。
最後の全員合唱
入り口付近に、これまでのプログラムと写真を展示
![]()
市民会館のすぐ隣、シーモール泉の広場で開かれている「平和のための戦争展」の様子。明日が最終日です。
http://peace21.jp/heiwano_tameno_sensoten.html
創造性でなくて想像力ですね
まちがい
大学生を指導してますが 結構勉強します で 昔で言う 耳学問です 実際や現場を見てないので
実社会に出て リアリティショックを受けます
つまり 学んだこと 教科書で読んだこと 論文と違うと、、、
人が死ぬこと 人が追いつめられること
競争社会では 勝者がいれば 敗者が必ずいること
徴兵制も 人が死ぬこと 敵という人を殺す可能性のあること
これらは 想像力がなくても わかることだと思いますが そうではないようです
Posted by: blue at 2004年08月30日 10:51>Blueさん
想像力の欠如というのは時折聞くご意見です。
面白い…というか、大事な視点ですね。
マスコミも、視聴者の想像力を駆り立てて、共感を得るような報道をすべきか。
なるべく事実だけを伝える、報道の基本とはかけ離れてしまいますが。
徴兵制も仕方ないんじゃない?なんて喋っていた若者が、東京大空襲の写真を見て、「ええっ!これが東京??うそ!」と絶句し、「さっきあんな事言った後で考えを変えるのは変なのだけど、やっぱダメっすよ。戦争は!」と、ころっと変わったのを見ました。(細かいニュアンスは違いますが、そんな感じ)
情報が正しく(なにが正しいかも難しいんですが)伝わっていないということもあると思います。
今日の日経で オグラケイが 今はイメージで政治を考えるから危険だと述べてました。
昔でいうフィーリングでしょうか 戦争の写真も テレビニュースで出ますが ああいうのは良くないと思います
ドキュメンタリーで 戦死死体を出すことは許容できても
日々のニュースで出れば ああまたか と テレビの画面のむこうのこと という非現実的な 概念になるだけではないかと
写真を見て衝撃を受けるより 他人事 自分とリアルにかかわる創造性に欠ければ
逆効果ではないかと
論理的に なぜ戦争か?を語るのはださい
めんどう という そういう風潮がこうなったのか?と
世の中の閉塞感と言いつつ 自分で言論や論理でなぜ閉塞感であるかを考えないで フィーリングで現状打破なら 右翼でもなんでもいい あるいは 右翼なら論理がないからすかっとするとか
長いコメントでした (^^ゞ
Posted by: blue at 2004年08月30日 10:06>Dr Blueさん
コメントありがとうございます。
右傾化に関しては同感です。
参加者は結構若手もいるんですが、お客様のほうの年齢が高く、しかも固定されて来ているんです。
ショッピングセンターでの写真展では、悲惨な戦争の死体の写真のそばの椅子で、若者が友達と楽しそうにしゃべりながら、なにかほおばっていました。
その光景に私は微妙な違和感を感じました。
ご苦労様です。そうですか 参加者の高齢化 いずこも同じですね。
こちらも 平和を語る年齢があがってきてます。アエラを見ると 若者の右傾化が一段とススンでいるような気がします。
世の中の閉塞感を打開するのが 右傾化 愛国教育 再軍備 軍事的プレゼンスを示すという 非常に単純化がススンでいるようで、、怖いです。