Recent Entries
Archives
Search


Links
Creative 
Commons License
This weblog is licensed under a Creative Commons License.

2005年05月30日

ラジオ深夜便「私の戦後60年」を聞こう

ラジオ深夜便(NHK第一&FM)
http://www.nhk.or.jp/radiodir/pro/shinya.html
12日深夜1時~
インタビューシリーズ「私の戦後60年」第2回
随筆家の岡部伊都子(82歳)を聞きました。
このシリーズ、とてもいい企画です。こういう番組を作るNHKなら受信料だって払いたい。
深夜でなければもっといいのですが。第一回を聞き逃したのは残念。
戦争を知らない世代の方は(ブロガーならほとんど当てはまりますね)是非こういう番組を聞いて欲しいと思います。
以下は、このインタビューで印象に残った事を書き連ねているだけで、文章にはなっていません。悪しからず。

---以下覚え書き---
この戦争は間違っていると公言し、「天皇陛下のために死ぬのはいやだ。国のためとか、君のためなら喜んで死ねる」と言った岡部の婚約者、邦夫が戦地(中国)へ赴き、抗日部隊の指揮官を斬り殺してしまった現実を、邦夫からの手紙で知る岡部。これが戦争の現実なのだと思う。
その後邦夫は沖縄に転戦し、守備隊に配属。米軍の艦砲射撃によって両足を失い、足手まといになるくらいならと自決して最期を迎える。

病弱だった岡部は母の計らいで婚約することが出来、一度だけ2人で歩いた心斎橋。手を繋ぐことも許されなかった時代。2人で食べたスイカの汁が飛んでしまったことまで、今でも鮮明に覚えている岡部。あの時代にあって、戦争を嫌った婚約者を心から尊敬し、愛し続けてきた岡部。
幼稚園、小学校と皇国思想を植え付けられてきた自分。旗を振って邦夫を送り出した事が、その後の岡部に大きな影響を与える事になる。自らを「加害の女」と呼び、一生悔やみ続ける人生。
なぜあのとき逃げなかったのだろう。自分の心の赴くままに。たとえ牢に繋がれようと、その方がそれだけ良かったか。邦夫さんは死なないで済んだのに。
そんな時代に今又向かっている事を感じている岡部。どうしてもっと世界中がお互いのことを愛し、慈しみ合って生きてゆけないのだろう。
若い人には自分の心に忠実に生きて欲しいと願う。
---ここまで---
古屋和雄アナウンサー、インタビュアーとしてはあるまじき事ですが、涙を隠せなかったようです。

佐高信氏による岡部評
花あかりのひと
 岡部は丈夫ではない。
 それなのにというか、それでもというか、岡部は沖縄に講演に行ったり、韓国まで出かけたりする。それを聞いて、「えっ」と絶句していると、電話の向こうで、「心配かけるのも大好きやけど、裏切るのも大好き」などと、似合わぬ憎まれ口を叩いている。
 「どこで死んでもいいやん。行けるところまで行きます」と言われては、こちらも唸るしかない。 早稲田大学教授の岡村遼司は岡部を「年々タカラヅカになる」と言ったという。歌劇(カゲキ)になるということである。
 岡部はいつも、沖縄に行って元気を吸って帰って来る。沖縄は岡部の婚約者が亡くなった地であり、その木村邦夫が、自分は戦争に行くのは厭だと告白したのに、皇国少女だった岡部は、自分なら喜んで行く、と答えてしまった。それを生涯の悔いとして岡部は発言し、書きつづけてきた。
 岡部を私は「花あかりのひと」と名づけた。花あかりとは、水に浮かべてともす丸いろうそくに、岡部が頼まれてつけた名だが、自ら、いのちの焔をもやして周囲を照らすその浮きろうそくの名こそ、岡部そのひとにふさわしいと思ったからである。
(さたか・まこと/評論家)


「私の戦後60年」第3回
5日深夜1時~
写真家 杵島隆氏
「私の戦後60年」第4回
12日深夜1時~
哲学者 梅原猛氏

Posted by mugen at 2005年05月30日 03:09 | TrackBack
Trackback
Comments

はじめまして。この企画素晴らしかったです。ただ、再放送も何種類か聞きましたが、少しずつ編集が行われておりました。放送時間帯によって、リスナーの人数が異なりますので、リスナー数が多いほど、政府にとって都合の悪い情報はカットしていた印象でございます。

Posted by: なるほど at 2005年09月18日 01:29
Post a comment









Remember personal info?


プログラム・コード形式にします太字にしますイタリック体にしますリンクを作成します